松村産業株式会社


会社のあゆみ

1919年
 故 松村楠一 が発見した 鳥取県隠岐郡の優秀な
珪藻土鉱床を母体として創業隠岐工場建設

1939 松村産業株式会社設立
隠岐工場の充実に努める一方、順次朝鮮慶尚南道、九州大分、等珪藻土鉱山の開発を行い、現地と大阪にそれぞれ工場を立地、原料から製品までの一貫体制を確立しました。

戦前あらゆるご家庭で親しまれた
[平和コンロ]は、隠岐工場の製品でした。又、著名なコンクリート建築には必ずと言って良いほど使用されたセメント混和材「アサヒライト」は大分工場の製品でした。

前者は珪藻土の多孔性による断熱、後者は組成の90%を占める可溶性珪酸による反応を利用した製品です。
何れも珪藻土の持つ性質を巧みに利用したものです。

1945 戦災により大阪工場焼失、敗戦により海外の鉱山、工場喪失

1946 戦災を免れた国内工場と鉱山の稼動を開始、大阪工場の一部復旧稼動。

1950
 大阪工場全面復旧。
戦後の事業再編に当って弊社は長年珪藻土によって蓄えられた粉砕技術と粘土鉱物利用のノウハウを活かし、営業分野を鉱物性粉体全般に拡大しました。

大阪工場では臨海工場の立地を生かし、海外資源と提携した
タルク精製粉砕専門工場として、質、量、共に完備した製造ラインを完成いたしました。

1960年 この年旭硝子と提携して上市した「アサヒサンド」がセメント2次製品業界の注目を浴びました。

これは磨き板ガラスの副生スラリーの再利用によるもので、セメント製品のオートクレーブ用のSiO
2源としてユニークな存在であり、当節課題となっている廃棄資源の再資源化をいち早く具現化したものです。

弊社は 粉砕 加工 に留まらず、新たな用途の開発、公開、等に大きな貢献をしております。

1970年 超微粉のフィラータルク 「ハイフィラー」
日本薬局方による 
「局方タルク」の生産を開始しました。

昭和45年完成をみた超音速エネルギーによる粉砕、いわゆる
ジェット粉砕システムは当時粉体工業会からも注目を浴びた 画期的超微粉砕システムでした。

又タルク業界唯一の
滅菌処理ラインが完成いたしました。
当社は生産技術の蓄積をふまえた粉体処理技術のエンジニアリングに大きな貢献をしております。

1979年 東日本の供給基地として群馬県安中市に関東工場が完成。

1984年 中国広西省Longsheng地区のタルク鉱床を開発、工場建設に参加、化粧品向けタルクの製造技術供与。

化粧品用タルク「
Osmanthus Bland」供給開始。

1990年 超微粉フィラータルクの脱気圧縮技術を確立。
「ハイフィラー」チップグレードとして上市。ポリプロピレン樹脂重合のインプラントでのマスターバッチ化技術に先鞭を付けました。
中国遼寧省 水泉滑石鉱等に超微粉フィラータルクの生産技術を供与。「ハイフィラー」のOEM生産を開始。

1998年 群馬県安中市の関東工場を廃止し、キハラ化成を買収、子会社化。関東地区生産拠点を茨城工場に移転

2005年 「海城松泉滑石有限公司」 を中国遼寧省海城市に設立。日本側は松村産業と蝶理、中国側は水泉滑石公司、水石国際貿易公司との合弁。日本側の出資比率は51%。ここで今後の発展が確実な、樹脂加工用の高機能タルク2種(脱気、圧縮技術を使った「チップグレート」、界面改質技術を駆使したタルクフィラー「ホエビンシリーズ」を重点に生産を開始した。

弊社は未来に向かってタルクの用途開発を続けています。

弊社の製品は直接人の目にふれることは稀ですが、化粧品から鉄鋼製品に及ぶあらゆる工業素材として見えないところで社会の進歩に貢献しております。

例えば、
化粧用ファンデーション基材の90%はタルクです。
自動車1台に使われている「クラウンタルク」及び「ハイフィラー」は
エンジンのプラグ、マフラーの排ガス触媒担体、バンパー、インストルメントパネルのプラスチック、電装部品、塗料、タイヤ、等々数え切れない部品に使われています。

10万トンのタンカーも溶接棒の副原料として「クラウンタルク」が無ければ建造できません。
又、「クラウンタルク」で組成焼成されたセラミックコンデンサーが、
アポロ宇宙船の電子回路を構成し、月世界往復を果たした。というエピソードをご存知でしょうか。

まさに、しらぜらる素材として隠れた活躍をしております。